PROFILE&HISTORY&…

THANKS!

改めまして、国民民主党、新宿区議会議員の かなくぼ なな子 でございます。

日頃より国民民主党及び私、かなくぼなな子の政策や活動に、ご理解、ご支援いただき誠にありがとうございます。

2023(令和5)年4月23日に行われました統一地方選挙におきまして、国民民主党より公認を頂きまして立候補、1585票もの付託を賜り、初出馬初当選させて頂きました。

お礼のご挨拶回りは、公職選挙法により禁止されていますので、この場をお借りしまして御礼申し上げます。

皆さまのお声を真摯に受け留め、区政に生かすべく、誠心誠意頑張って参る所存でございます。

これからも、どうぞよろしくお願い申し上げます。

PROFILE


東京都出身 1969年7月生まれ しし座 A型

大妻女子大学短期大学部家政科卒業。

普通自動車運転免許。英語検定準2級。MOS(マイクロソフトオフィススペシャリスト)。食品衛生責任者。防火防災管理者。乗馬5級ライセンス。

趣味・バドミントン、ウォーキング、トレッキング、音楽(聴く歌う作る!)、スポーツ観戦、温泉、寺社仏閣巡り、動物園水族館、動物好き(犬猫飼いたい) 

ミセスコンテストグランドファイナリスト。(50才の時、ミセスコンテスト(婚姻歴有り可)に出場するも予選敗退。その後リベンジセッションに挑戦しグランプリを獲得、敗者復活を果たす。)

54才、いくつになっても前向きに挑戦を続けます!

HISTORY

誕生~幼少期

サラリーマンの父、専業主婦の母の元、末っ子として誕生。よく寝てよく母乳を飲み、おなかが空いた時以外はあまり泣かず、おとなしい赤ちゃんだったそうです。

兄弟が2人いて話し相手には困らなかったせいか(というより、私自身はあまり喋らずいつも2人の会話を聞いていた)、外に対して人見知りで、知らない人に声をかけられると母の後ろに隠れてしまう、そんな幼少期でした。

かと思えば、お遊戯会などの発表会になると主役を生き生きと演じるなど、活発な一面も持ち合わせていました。

家業がお蕎麦屋さんのお友達の家に遊びに行くと、おやつにざるそばを出して頂くことが多く、大のお蕎麦好きの私としては、とても楽しみだったことを覚えています。


小中学校時代

小学校も中学校も、地域の公立学校に通いました。

小学校2年生の時、兄弟のが進学の関係で、一家で多摩地区に転居、それに伴い小学校も転校になりました。

誰一人として知り合いがいない中で、転校生としての挨拶する場面では緊張のあまり、担任の先生からの「どこから来たの?」という問いに、「あっちから」と答えたことを今でも覚えています。

3年生になる頃にはすっかり打ち解け、学級委員に選ばれたり、学芸会では主役などをやることが多かったです。表現をすることが楽しかったのだと思います。

走るのが速かったため、運動会では小学校6年間、中学校3年間、高校も卒業するまで、毎年リレーの選手になっていました。運動会の時はリレーで2人抜きするなど活躍していたので、周りに褒めてもらえて嬉しかったですね。

中学校ではバドミントン部に所属し、北多摩大会などに出場するなど、シャトル(羽根)を追いかけた青春時代でした。


高校、短大時代

高校は中野区にある、大妻女子大付属の女子高に通うことになりました。

当時の制服は森英恵さんデザイン、紺と青の中間のような色のボレロにジャンパースカート、グレーの襟が他校になく、独創的でかわいかったです。現在は、紺色のブレザーにチェック柄のスカートになっているようです。

中間テストや期末テスト前になると部活がお休みになり、帰宅も早くなります。ちょうど16時頃でしょうか。こたつに入ってみかんを食べながら母と見るテレビ時代劇「江戸を斬る!」が大好きでした。西郷輝彦さんがハマり役と言っても過言ではないくらい、カッコ良かったですね。未だに、私の無意識に口ずさむ歌トップ3に入ってます。

短大は、付属高校でしたので、内部受験だけのエスカレーター式で大妻女子大学短期大学部家政科に入学、創立者である大妻コタカ先生の「良妻賢母」の精神をしっかりと学びました。


OL時代

短大卒業後は不動産会社に入社、OL(オフィスレディ)として社会の仲間入りをしました。フロアに50人近くいる先輩社員や上司らに、お茶やコーヒー紅茶など、それぞれ好みの飲み物を淹れ、新人社員が輪番制で配るというのが、当時の朝一番の仕事でした。この他には、不動産営業などに関する書類の管理や、営業マンのアシスタント、庶務などを担当しました。


家庭時代

21才の時に結婚、22才で出産し母となりました。小さな命を授かり、親としてきちんと育てていかなければと、自身がまだまだ未熟であるためプレッシャーに感じることもありましたが、それをほぐしてくれるのは子どもの笑顔でした。

上の子が小学校の時、2人目の子を出産、子育てに休みはなく、バタバタした毎日を送るも、幸せな時間を過ごしていました。


シングルマザー時代~現在

そんな家庭時代でしたが、長年少しずつ積み上がっていた夫婦の溝が埋められず、40才の時に離婚。それからは、私にとって試練の連続でした。シングルマザーの生きにくさを痛感しながら、必死に生きて来ました。

現在子ども達は成人し、手はかからなくなりましたが、何才になっても心配事は尽きませんね。高齢になった実家の母のことも心配です。そんな中でも自分の人生も大切にし、今は議員としての責務を果たすことを最優先に、精進して参りたいと思っております。

&…

区政を志したきっかけ

私は、区役所の会計年度任用職員(非常勤職員)として約10年、働いて参りました。(入庁当時は嘱託員)

課税課、介護保険課、建築課、環境課と4つの部署に携わり、窓口や電話対応の際、多くの切実なお声を伺いました。

その痛みを区政に届けたい!と思うようになり、自分の経験が生かせるならと政治の世界に挑戦することを決心しました。

そして是々非々、対決より解決、改革中道、右でもなく左でもなく、良い政策は良いと率直に言える政党である「国民民主党」の門をたたき、ご縁を頂きました。

一人一人の小さな声を、35万人の大きな希望へ!

(新宿区の人口=令和6年4月1日現在349,318人)


思い

多様性のあるまち、ダイバーシティ新宿。

新しい発見があると同時に1697年から続く歴史ある街でもあります。

コロナ前のふれあいを呼び戻すには「思いやり」の精神が大切です。

心の余裕のためには、行政サポートも必要です。

子どもも大人も全ての人が安心・安全、心も体も健やかに暮らせるよう、全力で頑張ります!

どうぞご期待下さい。

将来の不安なく、安心して暮らせる やさしい新宿に!

        皆さまに寄り添い、皆さまと共に歩みます!

新宿と言えば、東京都23区のほぼ中央に位置する※特別区であり、東京都政を司る都庁も所在しており、日本を代表する一大都市です。(※特別区とは、東京23区のこと)

面積は18.22㎢、23区中13番目で東京ドーム約387個分の広さです。(東京ディズニーランドは、東京ドーム約10.9個分)

人口は2023年1月1日時点で346,222人(その内、住民登録のある外国人は40,334人で、都内で一番多い)、人口密度は2022年12月の時点で23区中7番目に高いとの統計が出ています。

特に新宿駅は、乗降者数は世界一多いターミナル駅とされ、ギネス世界記録にも認定されています。

にぎやかな繁華街や歓楽街の歌舞伎町エリアや、超高層ビルが林立し東京でも有数のオフィス街の西新宿エリア、都心のベッドタウンとして人口が急激に増えた落合エリア、早稲田大学をはじめ多くの教育機関が集積し学生街として栄える高田馬場・早稲田エリア、江戸時代以降に繫栄した四谷エリアは、国立競技場や緑豊かな新宿御苑、明治神宮外苑を擁します。

また古い町並みが残る神楽坂エリアや、アジア系外国人コミュニティが形成されているコリアタウン大久保、新大久保エリアもあります。


そんな大都会新宿から「ダイバーシティ」として、日本をリードし、そして世界に、新宿の素晴らしさを発信して行きましょう!


ダイバーシティとは、日本では「多様性」という意味になります。

人種・性別・嗜好・価値観・信仰などの違いを受け入れ、多様な人材が持つ可能性を発揮させようとする考え方です。


皆さまも実際に、様々な場面で様々な技術や労働力を目にする機会が多くなって来たと思います。

資源の乏しい日本においては、技術の向上が産業の発展、国益に繋がって行きます。

その技術の向上というのは、即ち、人を育てて行くことに他なりません。

真に、国民民主党が謳う「人づくりこそ、国づくり」ですね。


これからの日本は益々、多様化して行くことでしょう。

私は古き良き日本を大事にしつつ、新しい視点に立ち、良い風をどんどん取り入れ、全ての人が輝ける「ダイバーシティ新宿」を推進して参ります。

さあ、新しい新宿 始めましょう!